■ はじめに ■
『三国志』には地理志に該当するものがありません。
幸い、『後漢書』『晋書』には漢末・三国時代の郡県情報もそれなりに載っていて、邦訳版『漢書』地理志を参考にすれば現代地の比定も可能です。
又た『三國志』内にも地理情報がある程度は載っているので、三国時代で始終を完結させた州郡情報も多少は拾えます。
属県の情報まで掴めないのは如何ともしがたいのですが。
特に斉王の時代には郡国県道の改廃が、陳寿に「数えられない」と開き直らせた程にあったようなので、こちらとしても開き直らざるをえません(笑) 正直、成立時期が不確かでも、晋まで継続した郡はまだ領県が確認できるだけマシだったと云えます。
蘄春郡や房陵郡なんかは、どうしたものか。
そんなこんなで三国時代に変遷のあった州郡情報を載せてみました。県情報は今回はパスです。
三国時代に郡県の分割が最も進行したのが呉で、江南開発の進展が伺えます。尤も、末期の嶺南地方の分割は晋の進出に対応した政治的な要求がメインのようですが。
漢末に
公孫度が遼東の諸郡を以て新設し、公孫氏を滅ぼした魏も一時的に継続。
・昌黎郡 魏が遼西郡治の且虜を中心に
遼西郡東部を分離。
・范陽郡 曹丕が
涿郡を改称。范陽は河北省保定市定興。
・新興郡 215年に
朔方5郡を改廃。朔方郡のみ235年に復置。
・博陵郡 桓帝が
中山国東部を分離。博陵は河北省保定市蠡県。
・陽平郡 221年に
魏郡の東部を分離。陽平は山東省聊城市莘県。
広平郡 221年に魏郡の北部を分離。
広平は河北省邯鄲市。
・譙郡 曹操が
沛国西部を分離。譙は安徽省亳州市区。
汝陰郡 238年に沛国の南部、渦河と濉河の河間を分離。沛国は沛・豊の一帯に縮小。後に廃省。
・弋陽郡 曹丕が
汝南郡南西部を分離。弋陽は河南省信陽市潢川。
・安豊郡 魏が廬江郡北部の旧
六安国を分離。安豊は河南省信陽市固始。
・利城郡 198年に
東海郡北東部を分離。利城は山東省臨沂市東方。
城陽郡 198年に
琅邪郡東部を分離。西漢の
城陽国の治所は莒(山東省日照市)。
昌慮郡 198年に
東海郡北部を分離。206年に東海郡に併合。昌慮は山東省棗荘市。
・平陽郡 247年に
河東郡の汾北を分離。平陽は山西省臨汾市区。
漢末に新設されて三輔と涼州を統べたが、魏では
河西(涼州)・
隴右(秦州)が分離。
・新平郡 建安年間に
安定郡と
右扶風から分離。
・西平郡 建安年間に
金城郡より臨羌(青海省西寧市区)一帯を分離。
・西海郡 195年に
張掖郡の居延を分離。
西郡 漢末に張掖郡北東部を分立。
魏が
隴右を以て
雍州より分離し、刺史は護羌校尉を領す。後に廃止された。
・南安郡 霊帝が
天水郡西部を分離。
広魏郡 魏が天水郡東部を分離。晋が略陽郡と改称。略陽道は甘粛省平涼市庄浪。
南部一帯は南中・
庲降部とも呼ばれ、軍政が行なわれた。
・梓潼郡 217年に
広漢郡北部を分離。梓潼は四川省綿陽市。
陰平郡 劉備が
広漢属郡を分離。陰平道は甘粛省隴南市文県。
東広漢郡 広漢郡東部を分離。魏が廃省。
・汶山郡 霊帝が
蜀郡北西部の岷江流域を分離。
漢嘉郡 221年に蜀郡南西部を分離。漢嘉は四川省雅安市区。
・巴西郡 195年に南部を分離された
巴郡を201年に改称。
・宕渠郡 劉璋が巴郡東北部の渠江流域を分離。後に劉備が巴西郡に編入。宕渠は四川省達州市渠県。
・巴東郡
195年に巴郡南東部を分離した固陵郡を201年に改称。劉備が固陵郡と改め、221年に巴東郡に戻した。
・涪陵郡 201年に烏江流域に置かれた巴東属国の後身。
※ 巴郡分割の過程は未確定です。
・江陽郡 犍為郡北東部を分離。江陽は四川省瀘州市区。
朱提郡 214年に
犍為郡南半を分離。朱提は雲南省昭通市区。
・建寧郡 225年に
益州郡を改称。
・雲南郡 225年に建寧郡・
永昌郡から分離。雲南は雲南省大理自治州弥渡。
・興古郡 225年に建寧郡・
牂柯郡の南部を分離。
・鄱陽郡 210年に
豫章郡北東部を分離。
臨川郡 257年に豫章郡南東部を分離。
・廬陵郡 196年に豫章郡の南半を分離。廬陵は江西省吉安市吉安。
・安成郡 267年に廬陵・豫章・長沙郡から分離。安成は江西省吉安市安福。
・新都郡 208年に
丹楊郡南部の天目山地を分離。
賀斉の成果。
・呉興郡 266年に烏程を含む
呉郡・丹楊郡南部の銭塘方面を分離。
・臨海郡 257年に
会稽郡南東部の天台地方を分離。
建安郡 260年に会稽郡南半の福建地方を分離。他郡からの陸路なし。
東陽郡 266年に会稽郡南西部の金華地方を分離。
・南郷郡 208年に
南陽郡西部を分離。
・襄陽郡 208年に
南郡北部を分離。
・魏興郡 220年?に西城郡(215年に
漢中郡東部を分離)を改称。
房陵郡 215年?に漢中郡東端部を分離。220年に新城郡に併合。
上庸郡 215年に漢中郡東南部の錫・上庸県で成立。新城郡・錫郡との統廃合が続いて安定しなかった。
(220年に廃し、228年に新城郡より分離し、230年に錫郡に併合され、237年に再置。斉王が廃し、259年に再置)
・新城郡 220年に房陵郡・上庸郡を合併して成立。
孟達の来降による。→228年に上庸郡・錫郡を分離。
・錫郡 228年に新城郡より分離。237年に魏興郡(錫県)・上庸郡(上庸・安豊県)に分割廃郡。
魏興郡・新城郡界隈は漢中郡の東半にあたり、荊州に接する山岳地帯です。西城は西漢では漢中郡治で、現在の陝西省安康市区にあたります。
錫は安康市白河、上庸は湖北省十堰市竹山、房陵は十堰市房県にあたり、漢水上流から南鄭、西城、錫と連なり、
蒋琬が水軍での東進を企画したりもしています。西城から襄陽に抜ける山岳ルート上に、錫の南の上庸、その東の房陵という配置ですが、こちらは軍事ルートとはならないようです。
・蘄春郡 魏初に
江夏郡の江北鄂東を分離。蘄春は湖北省黄岡市。
・武昌郡 221年の武昌遷都により、江夏郡・
豫章郡・
廬江郡から分離。
武昌は湖北省鄂州市鄂城区。
・漢昌郡 210年に
長沙郡東北部を分離。後の巴陵郡の原型。荊南接収で廃省。
・宜都郡 南郡の枝江以西。208年に曹操が置いた臨江郡を劉備がを改称。枝江以西は山岳部。
・建平郡 260年に固陵郡を改称。
固陵郡は219年から、蜀のオリジナルと、孫権が宜都郡西部に立てた
潘璋の郡が並立していました。
2つの宜都郡問題は、称帝した劉備が
呉との重複を嫌ってして落着したようです。
・湘東郡 257年に長沙郡南東部、湘江以東を分離。洣水と耒水の河間に相当。
衡陽郡 257年に長沙郡の西半=湘江以西を分離。
・天門郡 孫休が
武陵郡北部の澧水流域を分離。
・始興郡 265年に
桂陽郡南部を分離。
・始安郡 265年に
零陵郡南部を分離。始安は広西自治区桂林市区。
邵陵郡 266年に零陵郡北部を分離。昭陵は湖南省邵陽市区。
203年に初めて部から州に改められ、210年より番禺を治所とした。226年に東半の南海・蒼梧・郁林郡を以て広州としたものの年内に廃され、264年に再び広州が分離された。
・郁林郡
鬱林郡の別称。
・桂林郡 274年に鬱林郡より分離。桂林は広西自治区来賓市象州。
・臨賀郡 225年に
蒼梧郡北部を分離。臨賀は広西自治区賀州市区。
・高涼郡 桓帝が
合浦郡西部から分離した高興郡を、霊帝が改称。高涼は広東省陽江市陽東。
・珠官郡 228年に合浦郡を改称。
・珠崖郡 242年に珠官郡から分離。280年に合浦郡に併合。雷州半島。
・新昌郡 271年に
交阯郡より分離。
・武平郡 271年に
九真郡より分離。
九徳郡 271年に九真郡より分離。