荀彧字文若、潁川潁陰人也。祖父淑、字季和、朗陵令。當漢順・桓之閒、知名當世。有子八人、號曰八龍。彧父緄、濟南相。叔父爽、司空。
荀彧、字は文若。潁川潁陰の人である。祖父の
荀淑、字は季和は朗陵令で、当時は漢の順帝・桓帝の間であり、当世に名を知られた。八人の子があり、八龍と号した。荀彧の父の荀緄は、済南相となった。叔父の
荀爽は、司空となった
[1]。
彧年少時、南陽何顒異之、曰：「王佐才也。」永漢元年、舉孝廉、拜守宮令。董卓之亂、求出補吏。除亢父令、遂棄官歸、謂父老曰：「潁川、四戰之地也、天下有變、常為兵衝、宜亟去之、無久留。」郷人多懷土猶豫、會冀州牧同郡韓馥遣騎迎立、莫有隨者、彧獨將宗族至冀州。而袁紹已奪馥位、待彧以上賓之禮。彧弟諶及同郡辛評・郭圖、皆為紹所任。彧度紹終不能成大事、時太祖為奮武將軍、在東郡、初平二年、彧去紹從太祖。太祖大悅曰：「吾之子房也。」以為司馬、時年二十九。是時、董卓威陵天下、太祖以問彧、彧曰：「卓暴虐已甚、必以亂終、無能為也。」卓遣李傕等出關東、所過虜略、至潁川・陳留而還。郷人留者多見殺略。明年、太祖領兗州牧、後為鎮東將軍、彧常以司馬從。
荀彧が少年の時に南陽の
何顒がこれを異として曰く、「王佐の才である」 と
[2]。
何顒は無名に等しい頃の曹操を高く評価した人でもあります。何顒は太学で名を知られて潁川閥と親交が深く、特に荀爽との関係が強かったので、荀彧を評価したのは理解できます。でも何顒は袁紹と行動を与にした方で、特に名族という感じでもなく、曹操を高く評価したという話題が遺されるのは少々不自然です。そもそも武帝紀でも 「ついで」 として紹介されているだけで、橋玄と違って具体的な何もなく、「袁紹の奔走の友である何顒すら曹操を認めていた」、という意図が感じられます。
永漢元年（189）、孝廉に挙げられて守宮令を拝命した。董卓の乱では転出して吏に補任される事を求めた。亢父令に叙され、かくて棄官して帰ると父老に謂うには、「潁川は四戦の地である。天下に変事があれば常に兵衝の地となる。亟
（すみや）かに去るのが宜しく、久しく留まってはならない」 郷人は多く郷土を懐って猶予した。折しも冀州牧で同郡の韓馥が騎兵を遣って迎えたので出立したが、随う者は莫く、荀彧は独り宗族を率いて冀州に至った。ところが袁紹が已に韓馥の位を奪っており、荀彧を上賓の礼で待遇した。荀彧の弟の荀諶および同郡の辛評・郭図は皆な袁紹に補任されたが、荀彧が袁紹を度るには、終には大事を成す事ができないと。
荀彧の先見性を示す逸話ですが、同時に、名士の一大産地である潁川人の多くが袁紹を支持した事をも示しています。潁川郡は東漢に於いては帝郷の南陽に亜ぐ要地で、そこの輿論が袁紹支持に傾いていたというのが当時の状況です。
時に曹操は奮武将軍として東郡に在り、初平二年（191）の事、荀彧は袁紹を去って曹操に従った。曹操は大いに悦び、「吾が子房である」 と。司馬とした。時に齢二十九だった。この時、董卓の威は天下を陵ぎ、曹操が荀彧に問うと、荀彧は、「董卓の暴虐は已に甚だしく、必ず乱によって終え、何も出来ないでしょう」 董卓は李傕らを遣って関東に出戦させ、過ぎる所で虜略させ、潁川・陳留に至って還った。郷人で留まった者の多くが殺略された。明年、曹操は兗州牧を兼領し、後に鎮東将軍となったが、荀彧は常に司馬として従った。
興平元年、太祖征陶謙、任彧留事。會張邈・陳宮以兗州反、潛迎呂布。布既至、邈乃使劉翊告彧曰：「呂將軍來助曹使君撃陶謙、宜亟供其軍食。」衆疑惑。彧知邈為亂、即勒兵設備、馳召東郡太守夏侯惇、而兗州諸城皆應布矣。時太祖悉軍攻謙、留守兵少、而督將大吏多與邈・宮通謀。惇至、其夜誅謀叛者數十人、衆乃定。豫州刺史郭貢帥衆數萬來至城下、或言與呂布同謀、衆甚懼。貢求見彧、彧將往。惇等曰：「君、一州鎮也、往必危、不可。」彧曰：「貢與邈等、分非素結也、今來速、計必未定；及其未定説之、縱不為用、可使中立、若先疑之、彼將怒而成計。」貢見彧無懼意、謂鄄城未易攻、遂引兵去。又與程昱計、使説范・東阿、卒全三城、以待太祖。太祖自徐州還撃布濮陽、布東走。二年夏、太祖軍乘氏、大饑、人相食。
興平元年（194）、曹操は陶謙を征伐し、荀彧に留事を委任した。折しも張邈・陳宮が兗州を以て反き、潜かに呂布を迎えた。呂布が至った後、張邈が劉翊を使者として荀彧に告げるには、「呂将軍は曹使君が陶謙を撃つのを助けに来た。亟かにその軍食を供給されよ」。人々は疑惑した。荀彧は張邈が乱を為したと知り、即座に兵を勒
（ととの）えて備えを設け、東郡太守夏侯惇を馳召したが、兗州の諸城は皆な呂布に応じた。時に曹操の軍は悉く陶謙を攻め、留守の兵は少なく、しかも督将・大吏の多くが張邈・陳宮と通謀した。夏侯惇が至ると、その夜に謀叛者数十人を誅し、軍兵はかくして定まった。
豫州刺史郭貢が手勢数万を帥いて城下に来至したが、或る者が呂布と同謀していると言い、人々は甚だ懼れた。郭貢が荀彧との通見を求めると、荀彧は往こうとした。夏侯惇らは 「君は一州の鎮である。往けばきっと危うい。なりません」 荀彧 「郭貢は張邈らとは、分って素より結んでいたのではない。今、速やかに来たからには、計は必ず定まってはいまい。未だ定まっていないうちに説けば、縱
（たと）え用を為さずとも、中立させる事ができる。もし先んじて疑えば、彼は怒って計を成すであろう」 郭貢は荀彧に懼意が無いのを見ると、鄄城は未だ攻めるのが容易ではないと考え、かくて兵を引いて去った。
郭貢が一種の火事場泥棒的に動き、張邈とは通じていなかった事が示されています。袁紹は曹操のボス。陶謙は曹操の猛攻に直面しているとなると、郭貢の背後にいるのは消去法からいって袁術という事になり、奇しくも袁術と張邈が手を組んでいなかった一証にもなります。張邈の背後に袁術がいたのなら、郭貢は鄄城を遮二無二攻めていた事でしょう。
又た
程昱と計り、范・東阿に説かせ、卒
（つい）には三城を全うして曹操を待った。曹操は徐州より還ると濮陽の呂布を撃ち、呂布は東に走った。二年夏、曹操は乗氏に駐軍したが、、大饑饉となって人が相い食らった。
陶謙死、太祖欲遂取徐州、還乃定布。彧曰：「昔高祖保關中、光武據河内、皆深根固本以制天下、進足以勝敵、退足以堅守、故雖有困敗而終濟大業。將軍本以兗州首事、平山東之難、百姓無不歸心悅服。且河・濟、天下之要地也、今雖殘壞、猶易以自保、是亦將軍之關中・河内也、不可以不先定。今以破李封・薛蘭、若分兵東撃陳宮、宮必不敢西顧、以其閒勒兵收熟麥、約食畜穀、一舉而布可破也。破布、然後南結揚州、共討袁術、以臨淮・泗。若舍布而東、多留兵則不足用、少留兵則民皆保城、不得樵採。布乘虚寇暴、民心益危、唯鄄城・范・衞可全、其餘非己之有、是無兗州也。若徐州不定、將軍當安所歸乎？且陶謙雖死、徐州未易亡也。彼懲往年之敗、將懼而結親、相為表裏。今東方皆以收麥、必堅壁清野以待將軍、將軍攻之不拔、略之無獲、不出十日、則十萬之衆未戰而自困耳、前討徐州、威罰實行。其子弟念父兄之恥、必人自為守、無降心、就能破之、尚不可有也。夫事固有棄此取彼者、以大易小可也、以安易危可也、權一時之勢、不患本之不固可也。今三者莫利、願將軍熟慮之。」太祖乃止。大收麥、復與布戰、分兵平諸縣。布敗走、兗州遂平。
陶謙が死ぬと、曹操は徐州を取ってから、還って呂布を定めようと欲した。荀彧
「昔、高祖は関中を保ち、光武帝は河内に拠り、皆な根を深くして本を固めて天下を制しました。進んでは敵に勝つに足り、退いては堅守するに足り、そのため困敗しようとも終には大業を済（と）げたのです。将軍は本来は兗州の首長として事を為し、山東の難を平らげ、百姓で帰心悦服せぬ者はおりません。しかも黄河・済水の地は天下の要地であり、今は残壊したとはいえ、猶おも自らを保つには易く、これも亦た将軍にとっての関中・河内であり、先んじて定めねばなりません。今、李封・薛蘭を破り、もし兵を分けて東の陳宮を撃てば、陳宮は必ず西を顧みようとはせず、その間に兵を勒（ひき）いて熟麦を収奪し、糧食を節約して穀物を畜えれば、一挙にて呂布を破る事もできましょう。呂布を破り、然る後に南の揚州と結び、共に袁術を討ち、そうして淮河・泗水に臨むのです。もし呂布を捨てて東しても、多く兵を留めれば用きには足りず、少ない兵を留めれば民は皆な城に保（こも）り、樵（たきぎ）を採ることすら出来ますまい。呂布が虚に乗じて寇暴すれば、民心は益々危うく、ただ鄄城・范・衛だけは全うできましょうが、その他はこちらの所有ではなくなり、これは（我らにとっての）兗州が無いも同然です。もし徐州が定まらねば、将軍は何所に帰るというのでしょう？ しかも陶謙が死んだとはいえ、徐州は未だ亡ぼすに易くはありません。彼の地は往年の敗北に懲りており、懼れて（袁術と？）親しく結んで相い表裏を為しましょう。今、東方は皆な麦を収穫した事で、必ず堅壁清野して将軍を待つ事でしょう。将軍は攻めても抜けず、略奪しようにも獲る物も無く、十日を出ずして十万の軍兵は戦わずして自ら困窮するだけです[3]。前に徐州を討った時、威罰を實行しており[4]、その子弟は父兄の恥を念（おも）い、必ず人々は自ら守り、降る心とて無く、これを破る事ができても尚お所有は出来ますまい。そも事には、これを棄てて彼を取る事がきっとあり、大を以て小に易える事、安を以て危に易える事、一時の勢を権（か）り、根本が固まっていない事を憂患しない事は可です。今、三者の利はありません。願わくば将軍よ、これを熟慮されよ」
曹操はかくして止めた。大いに麦を収め、復た呂布と戦い、兵を分けて諸県を平らげた。呂布は敗走し、兗州は遂に平らいだ。
以後の荀彧の建策は、概ねこの類いです。曹操が二択三択で迷っている場合に進言するとか、躊躇している処に建策するとかではなく、曹操の方針を否定して覆して進路を定め、そして成功に導いています。曹操には“粗忽者”の風格がありますが、荀彧伝を読むとその印象はさらに強くなり、荀彧にリードを握られっぱなしなんじゃないかと思えてきます。
建安元年、太祖撃破黄巾。漢獻帝自河東還洛陽。太祖議奉迎都許、或以山東未平、韓暹・楊奉新將天子到洛陽、北連張楊、未可卒制。彧勸太祖曰：「昔、高祖東伐為義帝縞素而天下歸心。自天子播越、將軍首唱義兵、徒以山東擾亂、未能遠赴關右、然猶分遣將帥、蒙險通使、雖禦難于外、乃心無不在王室、是將軍匡天下之素志也。今車駕旋軫、〔東京榛蕪〕、義士有存本之思、百姓感舊而增哀。誠因此時、奉主上以從民望、大順也；秉至公以服雄傑、大略也；扶弘義以致英俊、大德也。天下雖有逆節、必不能為累、明矣。韓暹・楊奉其敢為害！若不時定、四方生心、後雖慮之、無及。」太祖遂至洛陽、奉迎天子都許。天子拜太祖大將軍、進彧為漢侍中、守尚書令。常居中持重、太祖雖征伐在外、軍國事皆與彧籌焉。太祖問彧：「誰能代卿為我謀者？」彧言「荀攸・鍾繇」。先是、彧言策謀士、進戲志才。志才卒、又進郭嘉。太祖以彧為知人、諸所進達皆稱職、唯嚴象為揚州、韋康為涼州、後敗亡。
建安元年（196）、曹操が黄巾を撃破した。漢献帝が河東より洛陽に還った。曹操は奉迎して許に都する事を議したが、或る者は山東が未だ平らいでおらず、韓暹・楊奉は新たに天子を率いて洛陽に到ったばかりで、北は張楊に連なっており、未だ卒
（にわか）には制する事ができないと。荀彧が曹操に薦めるには
「昔、高祖は東伐して義帝の為に縞素（服喪）した事で天下が帰心しました。天子が播越（逍遥）してより、将軍は義兵の事を首唱し、ただ山東の擾乱によって、未だ遠く関右に赴く事ができず、それでも猶お将帥を分遣して、険阻を蒙（おか）して使者を通じられました。外に難を禦いでいるとはいえ、心が王室の上に無かった事はなく、これぞ将軍が天下を匡そうという素志であります。今、車駕は旋軫（帰還）し、（東京は榛蕪しており）、義士には存本の思いがあり、百姓は旧時を感（おも）って増々哀しんでおります。まことに今こそ、主上を奉じて民の望みに従う事こそ大いなる順道であります。公位に至る事で雄傑を服従させる事こそ大略です。弘義を扶けて英俊を招致する事こそ大徳です。天下には節度に逆らう者がいるとはいえ、必ず累を為す事ができないのは明らかです。韓暹・楊奉がどうして害を為せましょう！ もしすぐに（計を）定めず、四方が異心を生じた後にこれを慮ったとしても及びませんぞ」
曹操はかくて洛陽に至り、天子を奉迎して許に都した。天子は曹操を大将軍に拝し、荀彧を進めて漢の侍中とし、尚書令を
守した。
常に中央にあって重く持し
[5]、曹操は征伐で外に在っても、軍国の事は皆な荀彧と籌
（はか）った
[6]。曹操が荀彧に問うた 「誰が卿に代って私の為に謀れるか？」 荀彧 「
荀攸・
鍾繇です」。これ以前に、荀彧は策謀の士だと言って戯志才を進挙した。戯志才が卒し、又た
郭嘉を進挙した。曹操は荀彧が人を知ると為した。諸々の進達した者は皆な職に称
（かな）い、ただ厳象は揚州刺史となり、韋康は涼州刺史となったが、後に敗亡した
[7]。
自太祖之迎天子也、袁紹内懷不服。紹既并河朔、天下畏其彊。太祖方東憂呂布、南拒張繡、而繡敗太祖軍於宛。紹益驕、與太祖書、其辭悖慢。太祖大怒、出入動靜變於常、衆皆謂以失利於張繡故也。鍾繇以問彧、彧曰：「公之聰明、必不追咎往事、殆有他慮。」則見太祖問之、太祖乃以紹書示彧、曰：「今將討不義、而力不敵、何如？」彧曰：「古之成敗者、誠有其才、雖弱必彊、苟非其人、雖彊易弱、劉・項之存亡、足以觀矣。今與公爭天下者、唯袁紹爾。紹貌外寬而内忌、任人而疑其心、公明達不拘、唯才所宜、此度勝也。紹遲重少決、失在後機、公能斷大事、應變無方、此謀勝也。紹御軍寬緩、法令不立、士卒雖衆、其實難用、公法令既明、賞罰必行、士卒雖寡、皆爭致死、此武勝也。紹憑世資、從容飾智、以收名譽、故士之寡能好問者多歸之、公以至仁待人、推誠心不為虚美、行己謹儉、而與有功者無所恡惜、故天下忠正效實之士咸願為用、此德勝也。夫以四勝輔天子、扶義征伐、誰敢不從？紹之彊其何能為！」太祖悅。彧曰：「不先取呂布、河北亦未易圖也。」太祖曰：「然。吾所惑者、又恐紹侵擾關中、亂羌・胡、南誘蜀漢、是我獨以兗・豫抗天下六分之五也。為將奈何？」彧曰：「關中將帥以十數、莫能相一、唯韓遂・馬超最彊。彼見山東方爭、必各擁衆自保。今若撫以恩德、遣使連和、相持雖不能久安、比公安定山東、足以不動。鍾繇可屬以西事。則公無憂矣。」
曹操が天子を迎えてより、袁紹は内心に不服を懐いた。袁紹は既に河朔を併せ、天下はその彊勢を畏れた。曹操はまさに東に呂布を憂え、南に張繡を拒ぎ、しかも張繡が宛で曹操の軍を敗っていた。袁紹は益々驕り、曹操に書を与えたが、その文辞は悖慢だった。曹操は大いに怒り、出入動静
（挙措）が常とは変じ、人々は皆な張繡に利を失った為だと謂った。鍾繇が荀彧に問うた処、荀彧は 「公は聡明で、往事を追咎するような事はありません。おそらく他に憂慮があるのでしょう」
曹操に見
（まみ）えて問うと、曹操は袁紹の書簡を荀彧に示し、「今、不義を討とうにも力では敵わない。どうすればいい？」
荀彧
「古えの成敗とは、まことにその才があれば弱くとも必ず彊くなり、苟くも不適当な人なら彊くとも容易に弱くなるもの。劉邦・項羽の存亡を観れば足る事です。今、公と天下を争うのはただ袁紹のみです。袁紹は貌外こそ寛容ですが内面は猜忌で、人を任じてその心を疑いますが、公は明達にして拘らず、唯だ才を宜しきに配置し、これが度量で勝っている点です。
袁紹は遅重にして決断が少なく、失在後機、公は大事を決断でき、応変無方であり、これが謀計で勝っている点です。
袁紹は軍を御すこと寬緩で、法令は立たず、士卒は衆
（おお）くとも現実として用い難いのですが、公は法令を明らかにし、賞罰必行であり、士卒は寡少とはいえ皆な争って死に致ります。これが武で勝っている点です。
袁紹は歴世の資産に憑き、従容として智を飾り、そうして名誉を収めています。そのため士でも能が寡少で問答を好む者が多く帰していますが、公は至仁によって人を待遇し、誠心を推して虚美を為さず、己が行ないは謹倹であり、しかも有功者には恡惜
（吝惜）せず与え、そのため天下の忠正・効実
（誠実）の士は咸な用
（はたらき）を為さんと願っており、これが徳で勝っている点です。
この四勝を以て天子を輔弼し、義を扶けて征伐するのに、誰が従わずにおれましょう？ 袁紹の彊勢など何ができましょう！」
実は具体的な事は何も述べておらず、抽象論で発破をかけているのがこの時の荀彧です。同様の事は官渡の役の最中にもあり、荀彧としては兎に角、何としても袁紹にだけは覇権を握らせたくないという心境がありありと観て取れます。袁紹が勝った場合、献帝はほぼ確実に廃されますが、荀彧の袁紹に対する忌避が献帝の為なのか、家門の為なのかは定かではありません。
曹操は悦んだ。荀彧 「先ず呂布を取る事をしないと、河北も亦た容易には図れません」 曹操 「そうだ。吾が惑いも又た袁紹が関中を侵擾し、羌・胡が乱れ、南の蜀・漢を誘うことを恐れているのだ。これでは吾れは独り兗・豫にて天下の六分の五に抗う事になる。いったいどのようにすればいい？」 荀彧 「関中の将帥は十を以て数え、一つに出来る者は莫く、ただ韓遂・馬超のみが最彊です。彼の者は山東の争いを見れば、必ず各々が手勢を擁して自ら保ちましょう。今もし恩徳で撫し、遣使して連和すれば、相い持して久しく安んじる事はできずとも、公が山東を安定させるまでは動かさないのに充分でしょう。
鍾繇に西の事を嘱託なさい。そうすれば公の憂いは無くなります」
三年、太祖既破張繡、東禽呂布、定徐州、遂與袁紹相拒。孔融謂彧曰：「紹地廣兵彊；田豐・許攸、智計之士也、為之謀；審配・逢紀、盡忠之臣也、任其事；顏良・文醜、勇冠三軍、統其兵：殆難克乎！」彧曰：「紹兵雖多而法不整。田豐剛而犯上、許攸貪而不治。審配專而無謀、逢紀果而自用、此二人留知後事、若攸家犯其法、必不能縱也、不縱、攸必為變。顏良・文醜、一夫之勇耳、可一戰而禽也。」五年、與紹連戰。太祖保官渡、紹圍之。太祖軍糧方盡、書與彧、議欲還許以引紹。彧曰：「今軍食雖少、未若楚・漢在滎陽・成皋閒也。是時劉・項莫肯先退、先退者勢屈也。公以十分居一之衆、畫地而守之、扼其喉而不得進、已半年矣。情見勢竭、必將有變、此用奇之時、不可失也。」太祖乃住。遂以奇兵襲紹別屯、斬其將淳于瓊等、紹退走。審配以許攸家不法、收其妻子、攸怒叛紹；顏良・文醜臨陣授首；田豐以諫見誅：皆如彧所策。
三年（198）、曹操は張繡を破った後、東方で呂布を禽えて徐州を定め、かくて袁紹と相い拒いだ。孔融が荀彧に謂うには 「袁紹の地は広く兵は彊く、田豊・許攸という智計の士が謀りごとを為し、審配・逢紀の尽忠の臣に事を任じ、顔良・文醜の勇は三軍に冠たりてその兵を統べている。克つのは殆ど困難ではないか！」 荀彧 「袁紹の兵は多くとも法令は整っていない。田豊は剛強で上を犯し、許攸は貪欲で治まらない。審配は専断無謀で、逢紀は果断で自ら用
（はたら）く。この二人を留めて後事を知
（つかさど）らせており、もし許攸の家人がその法を犯せば、きっと縦
（ほしいまま）にはさせまい。縦にならねば許攸は必ず変を為す。顔良・文醜は一夫の勇というだけで、一戦して禽えられよう」
この時点で、ここまで的確に予見出来る訳がない！ というのが私の感想で、諸葛亮の“隆中対”と対になるものです。あちらは諸葛亮に対する尊敬の念の発露ですが、こちらはあからさまに荀彧の子の荀顗に気を遣いまくった結果かと思われます。
五年（200）、袁紹と連戦した。曹操は官渡に保り、袁紹はこれを囲んだ。曹操の軍糧はまさに尽きようとしており、書簡を荀彧に与え、許に還って袁紹を引きつけたいと議した。荀彧 「今、軍食が少ないとはいえ、未だ楚・漢が滎陽・成皋の間に在ったほどではありません。この時、劉邦・項羽とも先に退く事を肯んぜなかったのは、先に退いた者が勢いとして屈するからです。公は十分の一の軍兵にて地を画してこれを守り、その喉を扼したまま進めず、已に半年になります。内情を現わせば勢いは竭
（つ）き、必ず変事がありましょう。これぞ奇策を用いるの時であり、失ってはなりません」 曹操はかくして駐まった。かくて奇兵にて袁紹の別屯を襲い、その将の淳于瓊らを斬り、袁紹は退走した。審配が許攸の家の不法を理由にその妻子を収監し、
許攸が怒って袁紹に叛き、顔良・文醜が戦陣に臨んで首を授け、田豊が諫言によって誅された事、皆な荀彧の策の通りだった。
六年、太祖就穀東平之安民、糧少、不足與河北相支、欲因紹新破、以其閒撃討劉表。彧曰：「今紹敗、其衆離心、宜乘其困、遂定之；而背兗・豫、遠師江・漢、若紹收其餘燼、承虚以出人後、則公事去矣。」太祖復次于河上。紹病死。太祖渡河、撃紹子譚・尚、而高幹・郭援侵略河東、關右震動、鍾繇帥馬騰等撃破之。語在繇傳。八年、太祖録彧前後功、表封彧為萬歳亭侯。九年、太祖拔鄴、領冀州牧。或説太祖「宜復古置九州、則冀州所制者廣大、天下服矣。」太祖將從之、彧言曰：「若是、則冀州當得河東・馮翊・扶風・西河・幽・并之地、所奪者衆。前日公破袁尚、禽審配、海内震駭、必人人自恐不得保其土地、守其兵衆也；今使分屬冀州、將皆動心。且人多説關右諸將以閉關之計；今聞此、以為必以次見奪。一旦生變、雖有〔守善〕者、轉相脅為非、則袁尚得寬其死、而袁譚懷貳、劉表遂保江・漢之間、天下未易圖也。願公急引兵先定河北、然後修復舊京、南臨荊州、責貢之不入、則天下咸知公意、人人自安。天下大定、乃議古制、此社稷長久之利也。」太祖遂寢九州議。
六年（201）、曹操は東平の安民県の穀糧に就こうとしたが、穀糧は少なく、河北と（の戦を）相い支えるには足りず、袁紹を新たに破った事により、その間に劉表を撃討しようと欲した。荀彧 「今、袁紹は敗れてその軍兵の心は離れており、その困窮に乗じてこれを定めるのが宜しいでしょう。兗・豫を背にして遠く江・漢に出師し、もし袁紹がその余燼を収め、虚を承けてその背後に出たら、公の大事は去ってしまいますぞ」 曹操は復た河上に次
（やど）った。
袁紹が病死した。曹操は渡河し、袁紹の子の袁譚・袁尚を撃ったが、高幹・郭援が河東を侵略し、関右が震動した為、鍾繇が馬騰らを帥いてこれを撃破した。
物語は鍾繇伝に在る。
八年（203）、曹操は荀彧の前後の功を録し、上表して荀彧を封じて萬歳亭侯とした
[8]。
九年、曹操が鄴を抜き、冀州牧を兼領した。或る者が曹操に説くには 「復古して九州を置くのが宜しいでしょう。冀州が制する所領は広大で、天下が服しましょう」 曹操はこれに従おうとしたが、荀彧が言うには、
「このようにすれば、冀州は河東・馮翊・扶風・西河・幽州・幷州の地を得、奪う所が衆くなります。前日に公は袁尚を破り、審配を禽えた事で、海内は震駭しており、きっと人々はその土地を保てず、その兵衆を守れないと恐れておりましょう。今、分けて冀州に属させれば、皆なの心が動揺します。しかも人の多くが、関右の諸将に閉関の計を説いており、今これを聞けば、必ず次には奪われると考えましょう。一旦変事が生じれば、善を守る者であっても、脅されれば転じて非善を為し、そうすれば袁尚はその死を寬され、袁譚は弐心を懐き、劉表は結局は江・漢の間を保ち、天下は容易には図れなくなりましょう。願わくば公よ、急ぎ兵を率いて先ずは河北を定め、然る後に旧京を修復し、南は荊州に臨んで貢献を入れない事を責めれば、天下は咸な公の意図を知り、人々は自ずと安んじましょう。天下が大いに定まれば、かくして古制を議すのです。これぞ社稷にとっての長久の利であります」
曹操は遂に九州制の議を寝
（や）めた。
[1]
荀淑には高才があり、
王暢・
李膺は皆な師とし、朗陵侯相となり、号して神君と称された。 (『続漢書』)
―― 荀淑は博学で高い行ないがあり、
李固・李膺とは同志として友善した。李昭を小吏より抜擢し、
黄叔度を幼童のうちから友とし、賢良方正として徴されると、（諮問の）対策で
梁氏を切に譏ったので、出されて朗陵侯相に補任され、官のまま卒した。八子は荀倹・荀緄・荀靖・荀燾・荀詵・荀爽・荀粛・荀旉である。
荀爽は字を慈明といい、幼時より好学で、齢十二で『春秋』・『論語』に通じ、経典に躭思
（沈思）して徴命に応じないこと十数年を積んだ。董卓が秉政すると復た荀爽を徴し、荀爽は遁去しようとしたが、吏がこれを持すこと急しかった。詔を郡に下し、即座に平原相に拝した。苑陵に至った処で又た追って光禄勲に拝した。事を視ること三日にして、策命にて司空を拝命した。荀爽は布衣より起ち、九十五日にして三公に至った。
➤
荀淑はかつて西豪里に居し、県令の
苑康は昔の高陽氏に才子の八人があったことから、その里を高陽里とした。荀靖は字を叔慈といい、亦た至徳と称されて名声は荀爽に亜ぎ、終身隠居した。 (張璠『漢紀』)
―― 或る人が許子将に問うには、荀靖と荀爽とは孰れが賢明かと。 許子将曰く 「二人とも玉である。慈明は外面が朗々とし、叔慈は内面が潤沢である」 (皇甫謐『逸士伝』)
[2]
中常侍
唐衡は娘を汝南の傅公明に妻わせたいとしたが、公明は娶らず、転じて荀彧に与えた。父の荀緄は唐衡の権勢を慕い、荀彧にこれを娶らせた。荀彧は論者に譏られた。 (『典略』)
―― 裴松之が調べた処、『漢紀』の云う唐衡は桓帝の延熹七年（164）に死に、計算すると荀彧はこのとき齢二歳になった処で、荀彧の成婚は唐衡が歿してから久しい事になる。“慕勢”との言葉は妥当ではない。
裴松之が又た考えるに、荀緄は八龍の一人であり、必ず利得によって判断する人ではなく、逼られてそうしたのなら、どうして 「慕勢」などと云うのか？ 昔、
鄭の忽は斉（の通婚を求める意）に違えて譏られ、
雋不疑は霍光（の通婚）を拒んで称美された。譏られたのは後援を失ったからで、称美されたのはその慮遠を嘉されたからだ。ともに交わらなかった事では害に至らず、そのため各々がその志を全うできたのだ。閹豎
（宦官）が事を用いるに至っては、四海は気息を塞ぎ、左悺・唐衡にとって殺生は意のままだった。そのため当時の諺では 「左迴天、唐独坐」 と云い、威権は次ぐ者が莫いという事を言ったものである。これに順えば六親は安んじ、忤違すれば大禍がたちまち至った。まことに滅亡を易えて生存するには、恥を蒙ってでも全うを期さねばならなかった。昔、蔣詡は
王氏と婚姻したが、清高の操を損わなかった。荀緄のこの婚儀もどうして傷なうものであろうか！
[3]
裴松之が考えるに、このとき徐州は未だ平らがず、兗州も又た叛いている。そこで 「十萬之衆」 と云っているのは、これは抑抗
（過剰）の言葉ではあるが、要するに寡弱ではない事を称している。ますます官渡の役で、兵が
一万に満たなかったとは云えない事が知れるのである。
[4]
京師で董卓の乱に遭ってより、人民は流移して東に出、多くが彭城の一帯に依拠した。曹操が至るのに遭遇し、男女数万口が泗水で坑殺され、水はその為に流れなかった。陶謙がその軍兵を帥いて武原に駐軍した為、曹操は進めなかった。軍を率いて泗水より南の慮・睢陵・夏丘の諸県を攻取し、皆なこれを屠城した。雞犬も亦た尽き、邑は廃墟となって行く人とて無かった。 (『曹瞞伝』)
[5]
荀彧は節を折って士にへり下り、坐には蓆を累ねず、台閣に在っては私欲によって意思を撓めなかった。荀彧の群甥の一人に、才行とも薄い者がおり、或る者が荀彧に謂うには 「君は事に当っているのだから、某を議郎に出来ないという事はないでしょう？」。荀彧は笑って 「官とは才を表すもの。もし言葉の通りにしたら、人々は私を何と言うでしょう！」 その心を平正に持すことは皆なこの類いだった。 (『典略』)
[6]
荀彧の為人りは偉美であった。 (『典略』)
―― 禰衡、字は正平。建安の初、荊州より北のかた許都に游び、才を恃んで傲逸であり、臧否は過差
（過剰）で、己れ以下と見做した者とは語らず、人は皆なこれを憎んだ。ただ少府
孔融のみがその才を高貴とし、上書してこれを薦めるには 「性質は貞亮で、英才は卓犖
（卓越）しています。芸文を渉猟して深奥に達し、一たび目にすればすぐに口誦し、聞いた事を忘れません。性は道に合致し、思慮には神が居るようです。
桑弘羊の計算術や、張安世の黙識
（暗記）も、禰衡を基準にすれば怪しむほどではありません」 禰衡は時に齢二十四。
このとき許都は新建されたばかりとはいえ、尚お人士は豊饒だった。禰衡は一札の名刺を書いてこれを懐にし、字が漫滅しても（渡すに）適う者はなかった。或る者が問うた 「どうして陳長文
（陳羣）・司馬伯達
（司馬朗）を訪ねないのか？」 禰衡 「卿は私を屠・沽の児輩
（屠殺者・酒売りの小僧）に従わせようというのか！」 又た問うた 「当今の許では、誰が最も良さそうですか？」 禰衡 「大児としては孔文挙
（孔融）がおり、小児としては楊徳祖
（楊脩）がいる」 又た問うた 「曹公・荀令君
（荀彧）・趙盪寇
（趙融）は皆な蓋世の才とするに充分では？」 禰衡は曹操には称える点が多くはなく、又た荀彧には儀容があり、趙融に腹尺
（太鼓腹）があるのを見て、こうして答えるには 「文若は面貌を借りて弔喪するに良く、稚長は厨房を監督して請客
（饗応）させるに良い」 その意味は、荀彧は容貌ばかりの者で、趙融は肉を健啖するというものだった。こうして人々は皆な切歯した。
※ 趙融は、『三國志』ではここにしか出てきません。范曄『後漢書』では西園八校尉の助軍校尉だった事が確認できるので、曹操・袁紹・淳于瓊の同僚だった事が判ります。趙融が本当に云われるほどの声望があったのなら、董卓や李傕・郭汜に対する毅然たるエピソードの一つくらい残っていて然るべきですが、それもなく、ぶっちゃけ、対談自体が捏造か、もしくは印象的な部分を抜粋したものじゃないかと思われます。外見が特徴的な二人を対比させてみました、みたいな。
あと、出典は確認できていませんが、趙融は漢陽の人との事なので、梁・姜・尹・楊氏と並ぶ漢陽五大ファミリーの一員だった可能性があります。だからといって中央で手放しで絶賛される程の家格ではありませんが。
禰衡は人々が悦ばない事を知り、南の荊州に還ろうとした。装束して発するに臨み、衆人は祖道
（送別会）を為し、先んじて城南に供帳を設け、共に相い誡めるには 「禰衡はしばしば不遜だった。今、後れて到るからには起たずに報復してやろう」 かくして禰衡が至ると、衆人は皆な坐して起たなかったので、禰衡は号咷大哭した。衆人がその理由を問うと、禰衡は 「屍柩の間を行くのに、どうして悲しまずにいられよう？」
禰衡は南して劉表にまみえ、劉表は甚だこれを礼遇した。将軍の黄祖が夏口に駐屯していたが、黄祖の子の黄射は禰衡とは親善で、これに随って夏口に到った。黄祖はその才を嘉し、いつも同席させ、優れた賓客との席では禰衡を介在させて談じた。後に禰衡は驕蹇となり、黄祖に答える言葉は徘優のような饒言となった。黄祖は己が罵倒されたかと考え、大いに怒り、伍伯
（五人長）を顧みて頭を捉えて出させた。左右の者が（五伯を）扶けて去り、拉致してこれを殺した。 (『平原禰衡伝』)
―― 裴松之曰く、本伝では荀彧の容貌を称しておらず、そのため『典略』と『禰衡伝』を載せてこれを見た。又た潘勗が為した荀彧の碑文には、荀彧を称えて 「瓌姿奇表」とある。
―― 張衡の『文士伝』曰く、孔融はしばしば禰衡を曹操に薦め、会見させようとした。禰衡はこれを疾悪し、意中では常に憤懣していた。狂疾を称して往く事を肯んぜず、しかもしばしば（批判の）言論を為した。曹操はその噂を聞くと辱めようと図り、かくして鼓史に登録した。後の八月の朝会に至り、大いに宴し、賓客が揃って会した。時に鼓史は撃鼓を過つと、皆な旧の服を脱ぎ、易えて新衣を着た。禰衡は撃って“漁陽参檛”を為し、容態は常ならず、音節は殊妙だった。坐上の賓客はこれを聴いて慷慨しない者は莫かった。過っても衣を易えなかった為、吏が叱呵した処、禰衡は曹操の御前で次々に脱衣し、裸身で立ち、徐徐に褌帽を着け終え、復た参檛にて撃鼓したが、顔色に怍
（は）じは無かった。曹操は大いに笑い、四坐に告げるには 「本来は禰衡を辱めようとしたが、禰衡が反って孤を辱めたわ」。今に至っても“漁陽参檛”はあるが、禰衡が造ったものである。
孔融は深く禰衡を責数し、併せて曹操の意を宣べ、曹操と会見させようとした。禰衡はこれを許認し、 「卿の為に往こう」 と。十月の朝会に至り、孔融は先ず曹操にまみえて説くには、「禰衡が謁見を求めています」 と。日晏
（夕暮れ）に至り、禰衡は単衣を着て、綀布
（葛布）を履き、曹操の営門の外に坐して杖で地を捶ち、さんざんに曹操を罵った。曹操は外の厩舎に命じ、急ぎ精馬三匹と騎士二人を具えさせ、孔融に謂うには 「禰衡の豎子めが、この様な事をするとは！ 孤がこれを殺すのは雀鼠と大差はないが、考えるにこの人は素より虚名があって遠近に聞こえている。今日これを殺せば、人は孤が容れられなかったと謂うだろう。今、劉表に送り、どうなるかを視てやろう」 かくして騎士に命じて禰衡を馬上に置かせ、両騎で扶けて送って南陽に至らせた。
―― 禰衡は言葉が巧みで論じては剋ち、荊州牧劉表にまみえると、自ら劉表に結ぼうとする事が甚だしく、劉表は悦んで上賓とした。禰衡は劉表の美を口を盈たして称えたが、劉表の左右を論じるには繩墨
（自身の基準）を廃さなかった。このため左右の者は事実によってこれを譖り、「禰衡は将軍の仁を称え、西伯でも及ばないとしていますが、ただ決断ができず、終には遂げられないのは必ずこの為だと」 この言葉は実際に劉表の智が不足している事を指しているが、禰衡の言葉ではない。劉表は詳らかには察せず、かくて禰衡を疏遇して放逐した。禰衡は劉表に交わりを断たれ、黄祖には智が窮し、身は死して名は滅び、天下の笑い者となった。譖った事が現実になったのである。 (『傅子』)
[7]
厳象、字は文則。京兆の人である。若い頃より聡明博識で、胆力・智力があった。督軍御史中丞として揚州に詣って袁術を討ち、たまたま袁術が病卒したので揚州刺史となった。建安五年（200）、孫策の廬江太守
李術に殺された。時に齢三十八だった。厳象と同郡の趙岐は『三輔決録』を作ったが、時人がその意を尽せない事を恐れ、その為その書を隠し、ただ厳象にのみ示した。 (『三輔決録』注)
―― 韋康、字は元将も亦た京兆の人である。孔融は韋康の父の韋端に書を与え 「先日に元将が来ましたが、深才亮茂・雅度弘毅で偉世の器でありましょう。昨日には仲将
（韋康の弟の韋誕）が又た来ましたが、懿性貞実・文敏篤誠で、家を保つ主となりましょう。双珠が老蚌
（ドブガイ）から出るとは思いもよらぬ事で、甚だ珍貴な事です」 韋端が涼州牧より徴されて太僕になると、韋康が代って涼州刺史となり、時人はこれを栄誉とした。後に馬超に攻囲され、堅守すること歴時となったが、救軍が至らず、かくて馬超に殺された。仲将の名は誕といい、劉邵伝に
見える。 (『三輔決録』注)
[8]
曹操の上表
「臣聞く。計慮を功の首とし、策謀を賞の本とし、野績（武功）は廟堂の功を越えず、戦の多さも国事の勲を踰えないと。このため曲阜（周公）の錫は営丘（太公望）の後とせず、蕭何の封土は平陽（曹参）に先んじました。策計を珍重するのは古今で尚ぶものです。侍中・守尚書令荀彧は、徳を積み行ないを累ねること少より長じて悔い無く、紛擾の世に遭って忠を懐き治を念じてきました。臣は義兵を挙げ始めてより征伐に周游し、荀彧と合力同心して王略を左右にし、（荀彧の）発言や授策は施して効が無い事はありませんでした。荀彧の功業に臣の成功は由来し、用いて浮雲を披き、日月を顕光したのです。陛下が許に御幸し、荀彧は左右の枢機に近侍し、忠恪祗順なこと薄氷を履む如くにし、研精すること極めて鋭く、そうして庶事を撫して参りました。天下が定まったのは荀彧の功であります。どうか高爵を享受させ、元勲を彰かにされますよう」
荀彧は野戦の労が無いとして固辞し、曹操の上表を上通させなかった。曹操は荀彧に書簡を与え 「君と事を共にして以来、朝廷に立ち、君が匡弼をし、君が人を挙げ、君が計画を建て、君が密謀してくれた事は亦た多いのだ。そも功とは必ず野戦でなければならないという事ではない。どうか君よ、謙譲しないでくれ」 荀彧はかくして受けた。 (『荀彧別伝』)
[9]
荀衍、字は休若。荀彧の第三兄である。荀彧の第四兄は荀諶、字を友若といい、事績は袁紹伝に現れる。陳羣が孔融と汝南・潁川の人物を論じた時、陳羣は 「荀文若・荀公達・荀休若・荀友若・荀仲豫は当今では並ぶ者が無い」
荀衍の子の荀紹は、官位は太僕に至った。荀紹の子の荀融は、字を伯雅といい、王弼・鍾会と倶に名を知られ、洛陽令となり、大将軍の軍事に参与した。王弼・鍾会と『易』・『老子』の義を論じた事は世に伝わっている。
荀諶の子の荀閎は、字を仲茂といい、太子文学掾となった。時に甲論乙駁の疑論があり、荀閎と鍾繇・王朗・袁渙の議は各々同じではなかった。文帝は鍾繇に書簡を与え、「袁渙・王朗は国士であり、更には唇歯の関係である。荀閎は勁悍で、往来する鋭師のようで、真に君侯の勍敵であり、左右の者が深く憂えている」 黄門侍郎で終った。荀閎の従孫の荀煇は字を景文といい、太子中庶子となり、亦た名を知られた。賈充と共に音律を定め、又た『易集解』を著した。荀仲豫の名を悦といい、郎陵県長荀倹の少子にして、荀彧の従父兄である。 (『荀氏家伝』)
―― 荀悦は清虚沈静で、著述に長じた。建安の初に秘書監・侍中となり、詔を被って『漢書』を刪定して『漢紀』三十篇を作った。事に因んで臧否を明らかにし、典雅で簡要であり、その書物は世に大いに行なわれた。 (張璠『漢紀』)
➤[10]
曹操が又た上表するには
「昔、袁紹が郊甸（畿内）に侵入し、官渡で戦った時、兵は少なく糧は尽き、許に還ろうと図り、荀彧と書簡で議した処、荀彧は臣に許しませんでした。駐留する事の便の宜しきを建て、進討の規画を恢（さかん）にし、更めて臣の心を励起してその愚慮を易え、かくて大逆を摧き、その軍兵を転覆・奪取したのです。これは荀彧が勝敗の機を観た結果で、ほぼ不世出のものです。
袁紹が破敗するに及び、臣の糧も亦た尽き、河北は未だに容易には図れず、南の劉表を討とうとしましたが、荀彧は復た臣を止め、その得失を陳べ、臣は斾（軍旗）を反転し、かくて凶族を併呑し、四州を克平したのです。
以前に臣が官渡で退いていたら、袁紹は必ず鼓を撃って前進し、傾覆の形勢となって克捷の勢いを無くしたでしょう。後にもし南征して兗・豫を遺棄していたら、利を求めるのが困難となり、本拠をも失っていたでしょう。荀彧の二策は亡びを存続させ、禍によって福を招致したもので、謀・功とも殊異であり、臣の及ぶ所ではありません。
こうした事から先帝は指縦（猟犬の指揮者）の功を貴び、搏獲の賞を薄くし、古人は帷幄の規画を尚び、攻抜の捷を下にしたのです。
前の賞録は未だ荀彧の巍巍たる勲に副うものではありません。乞う。重ねて平議（公平な議論）し、その戸邑を（古人と）疇（ひとし）くされん事を」
荀彧が深く辞譲した処、曹操が報答するには 「君の策謀は、ただ上表した二事だけではない。前後しての謙沖
（謙譲）は、魯仲連先生を慕おうとしてか？ これは聖人や節に達した者が貴ぶものではない。昔、介子推は“人の財を竊む者すら、猶おもこれを盗人と謂う”と言った
[※]。ましてや君の密謀は人々を安んじ、孤を光顕すること百を以て数えるではないか！ 二事を以て還して復たこれを辞退するとは、何と謙亮する処が多いではないか！」 曹操は上表して荀彧を三公にしようとし、荀彧は荀攸を使者として深く辞譲させ、十数度に至って曹操も止めた。 (『荀彧別伝』)
※ 介子推は他人の功績を自分のものとして嘯く者をこそ“盗人”と呼んだ。
[11]
曹操は荀彧に食事を贈ったが、これを開くと空器であり、こうして毒薬を飲んで卒した。咸熙二年（265）、荀彧に太尉を贈った。 (『魏氏春秋』)
―― 荀彧は尚書令になってより、常に文書で事を陳べたが、薨じるに臨んで皆な焚毀し、そのため奇策・密謀の尽くは伝わらなかった。当時は征伐と草創にあたり、制度の多くが興復された。荀彧が嘗て曹操に言った。
「昔、舜は禹・稷・契・皋陶に命令を分って庶績を統べ、教化・征伐を同時に行ないました。高祖の初期に及んで金革方殷（軍事が盛行）しましたが、猶お民を善く教訓できる者を挙げ、叔孫通が戎旅の間にあって礼儀を習わせ、世祖は戈を投じて六芸を講じ、馬を息ませて道を論じたのです。君子とは食事を終えるまでの間にも仁に違える事が無いのです。今、公は外に武功を定め、内に文学を興し、干戈を戢睦（収睦）させ、大道は行なわれ、国難は弭（や）み、六礼は倶に治まっておりますが、これは姫旦が周の宰相として速やかに平らげた手法であります。既に功・徳を立て、しかも又た言葉を立て、まことに仲尼が述作した意図であり、当代に制度を顕し、後世に名を揚げ、何と盛んなことでしょう！ もし武事を畢えた後に制度を作り、そうして治化（文治・教化）を稽（おし）えるのでは、敏速とはいえません。天下の大才・通儒を集め、六経を考論して伝記（注釈）を刊定し、古今の学問を存続させ、その煩重を除き、聖真の教えを一統し、同時に礼学を興隆させ、ようよう教化を敦くするのが宜しく、これぞ王道を双方とも遂げるものです」
荀彧は従容のおりに曹操と治道を論じ、こうした類いのものは甚だ多く、曹操は常にこれを嘉納した。
荀彧は徳行を周く備え、正道でなければ心を動かさず、名は天下に重く、儀表
（模範）としない者は莫く、海内の英雋は咸な宗とした。司馬懿は常に 「書伝や遠き事や、我が耳目で見聞したものは百数十年間に及ぶが、賢才で未だ荀令君に及ぶ者はない」 と称えた。前後して挙げた者は命世の大才で、邦邑からは荀攸・鍾繇・
陳羣を、海内からは司馬懿および当世に名を知られた郗慮・
華歆・
王朗・
荀悦・
杜襲・
辛毗・
趙儼の輩を引致し、終には卿相となった者は十数人となった。士を取る方法は一揆
（単一の方法）ではなく、戯志才・郭嘉らは世俗の譏りがあり、杜畿は簡傲
（傲慢）で修飾は少なかったが、皆な智策の士として挙げ、終に各々名を顕した。荀攸は後に魏の尚書令となり、亦た賢者や士人を推薦・進挙した。曹操は 「二荀令が人を論じる事、久しくして益々信ずべきで、吾れが歿しても忘れられまいぞ」
鍾繇は、顔子が歿した後、九徳を備えて過失を二つと犯さないのはただ荀彧だけだとした。或る者が鍾繇に問うた 「君は常に荀君を重んじて顔子に比し、自らは及ばないとしている。（理由を）聞いて宜しいか？」 （鍾繇）曰く 「そも明君とは臣を師とし、それに次ぐ者は友とする。曹公は聡明で、大事のある毎に常に先ず荀君に諮っている。これはつまり古えの師友の義である。吾らは命を受けてから行ない、猶おも尽せない時がある。相い去って顧みることが何と遠いではないか！」 (『荀彧別伝』)
―― 董承が誅されると、伏后は父の伏完に書簡を与え、司空が董承を殺し、帝は報怨しようとしていると言った。伏完は書簡を得ると荀彧に示し、荀彧はこれを嫌悪したが、久しく隠して言わなかった。伏完が妻の弟の樊普に示すと、樊普は封をしたまま曹操に上呈し、曹操は陰かにこれに備えた。荀彧は後に事が発覚する事を恐れ、自らこれを発こうとし、求めて使者として鄴に至ると、曹操に娘を帝に配偶するよう勧めた。曹操 「今、朝廷には伏后おり、吾が娘をどうして上に配偶できよう。私は微功を録されて位は宰相となっているが、どうして復た娘の寵愛を頼ろうか！」 荀彧 「伏后には子が無く、性は又た凶邪で、往常
（平素）より父に与えた書簡では、言辞は醜悪です。これによって廃黜するのです」 曹操 「卿は昔にどうしてこれを言わなかったのか？」 荀彧は驚きを偽り 「昔に已に公に言っております」 曹操 「これは私が忘れるような小事であろうか！」 荀彧は又た驚き 「まことに未だに公には語っておりませんでしかた！ 昔、公は官渡に在って袁紹と相い対峙しており、内顧の念を増す事を恐れ、そのため言わなかったのでしょう」 曹操 「官渡の事の後にどうして言わなかったのか？」 荀彧は答えず、闕失を陳謝するばかりだった。曹操はこの事で荀彧を恨んだが、外面ではこれを容赦したために世に知る者は莫かった。
董昭が魏公の議を建立するに至り、荀彧は意を同じくせず、その事を曹操に言おうとした。璽書を齎して軍を犒労し、飲饗の礼を畢えるに及び、荀彧は留まって時間を請うた。曹操は荀彧が封建の事を言おうとしていると知り、揖礼してこれを遣ったので、荀彧は言う事ができなかった。荀彧が寿春で卒すると、寿春からの亡命者が孫権に告げるには、曹操は荀彧に伏后を殺させようとしたが、荀彧は従わず、そのため自殺したと。孫権はこれを蜀に露布し、劉備はこれを聞くと 「老賊が死なねば、禍乱は已まぬ」 と。 (『献帝春秋』)
―― 裴松之が調べた処、『献帝春秋』は荀彧が伏后の事を発こうとして使者たる事を求めて鄴に至り、曹操を偽って 「昔日に已に言った」 と云う。言辞に証拠が無いとなった後は、官渡での懸念に迴託
（仮託）し、俛仰の間
（僅かな時間）に辞情は頓屈
（屈曲）している。凡庸の人であっても猶おこの様には至るまい。どうして賢哲を玷累
（過剰な辱め）するのか！ 凡そ諸々の云っている事は皆な鄙俚
（ゴシップ）より出たもので、吾儕
（自分らの基準）の言葉で君子を厚く誣したというものだ。袁暐の虚罔な類は、これが最も甚だしい。
[12]
荀惲の字は長倩、荀俁の字は叔倩、荀詵の字は曼倩といい、荀俁の子の荀寓は、字を景伯といった。 (『荀氏家伝』)
―― 荀寓は若くして裴楷・王戎・杜黙と倶に京邑で名を知られ、晋に仕え、位は尚書に至り、名声は顕著だった。子の荀羽が嗣ぎ、位は尚書に至った。 (『魏晋世語』)
[13]
荀顗、字は景倩。幼くして姉夫の陳羣に異能とされた。博学洽聞で、意思は慎重稠密だった。司馬懿は荀顗を見るとこれを奇才とし、「荀令君の子である。近頃は袁偘を見たが、亦た曜卿
（袁渙）の子であった」 抜擢して散騎侍郎に拝した。荀顗は晋室を佐命し、位は太尉に至り、臨淮康公に封じられた。嘗て鍾会の 「『易』には互体が無い」 との説を批難し、世に称えられた。
➤
荀顗の弟の荀粲は、字は奉倩。
―― 何劭の著した『荀粲伝』に曰く、荀粲、字は奉倩。荀粲の諸兄は揃って儒術を論議したが、荀粲は独り道家の言説を好み、常に 「子貢は“人の性と天道についての夫子の言説は、もう聞く事が出来ぬ。”と称した。ならば六籍
（六経）は存在していても、聖人の糠秕に過ぎない」 と考えていた。荀粲の兄の荀俁が非難して、「（孔子は）『易』も亦た“聖人は象
（八卦の符号）を立てる事で意を尽し、繋辞
（卦爻についての解説）によって言葉を尽す。”と云っている。ならば微言
（優れた言葉）がどうして聞見できないという事があろうか？」 荀粲が答えるには 「思うに隠微なる理りとは、物象によって挙げられるものではない。今、象を立てて意を尽くすと称すが、これは意の外に通じるものではない。繋辞によって言葉を尽くすと称すが、これは繋表
（卦の外）まで言うものではない。即ち象外の意、繋表の言とは、隠れて表出しないものである」 当時にあって、言論に長じた者でも屈する事ができなかった。
又た父の荀彧が従兄の荀攸に及ばないと論じた。荀彧は徳を立てること高整で、軌儀
（礼儀作法）を教訓したが、荀攸は外形を治めず、自ら慎密に処すのみだった。荀粲はこれによって荀攸を善いと言い、諸兄は怒りはしたが転向させられなかった。
太和の初に京邑に到って
傅嘏と談じた。傅嘏は名理に善く、荀粲は玄遠を尚び、宗旨は同じではあったが、僅かな時間では対立する事もあって互いに意を得なかった。裴徽が彼我の懐心を通じさせようとし、二家の為に騎駅
（往来）した為、しばらくして荀粲は傅嘏と親善した。
夏侯玄も亦た親善だった。常に傅嘏・夏侯玄と与に 「子らは世の途に在って、功名では私に勝った。ただ識見では私に劣っている！」 傅嘏が論難するには 「功名を盛んにしたのは、識見によるものだ。天下では孰れも根本が不足して末端が余るという事があろうか？」 荀粲 「功名とは、志と時局が奨めるもの。ならば志・局とは一つのものにすぎず、識見だけで遂げられるというものではないのだ。私は子らを貴しとはするが、子らと同じ行ないをするわけではない」
荀粲は常に、婦人とは才智を論じる必要はなく、容色を主にすべきだと考えていた。驃騎将軍曹洪の娘は美色であり、荀粲はこれを娶り、容服
（服飾）・帷帳は甚だ美麗で、房室での歓宴を専らにした。歴年の後に婦人が病亡し、殯せぬ裡に傅嘏が荀粲を往喭
（弔問）した処、荀粲は哭礼もせぬ程に神経を傷なっていた。傅嘏が問うた 「婦人で才色を並茂
（兼備）するのは困難だが、子は娶るのに、才を棄てて色を好んだ。これに遇うのは容易なのに、今になってどうして悲哀すること甚だしいのか？」 荀粲 「佳人とは再びは得難いのだ！ 顧みれば、逝者は傾国の色を有してはいなかったが、しかしそれでも遇うのが容易だとは思えないのだ」 痛悼を已める事ができず、歳余にして亦た亡くなった。時に齢二十九だった。
荀粲は簡貴
（尊大）で、常人とは交接できず、交わったのは皆な一時の俊傑だった。葬夕に至り、赴く者は十余人ばかりだったが、皆な同時代の知名の士で、哭礼の様は路行く人を感動させた。 (『晋陽秋』)
[14]
荀頵、字は温伯。羽林右監となり、早くに卒した。荀頵の子の荀崧は、字を景猷といった。 (『荀氏家伝』)
―― 荀崧は若くして志操があり、文学を大いに好み、孝義和愛の人で、朝廷にあって恪勤し、位は左右光禄大夫・開府儀同三司に至った。荀崧の子の荀羨、字は令則は、清和にして才能があった。公主を娶り、若くして顕位を歴任し、齢二十八で北中郎将となり、徐・兗二州刺史や、仮節・都督徐兗青三州諸軍事となった。在任十年で病によって職を解かれ、家で卒すると驃騎将軍を追贈された。荀羨の孫の荀伯子は、今の御史中丞である。 (『晋陽秋』)
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荀愷は、晋武帝の時に侍中となった。 (『荀氏家伝』)
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―― 武帝は侍中荀顗・和嶠に、倶に東宮に至って太子を観察させた。荀顗は還ると太子の徳・識見が大きく進歩している事を称えたが、和嶠は聖質は当初の通りだと云った。孫盛は 「遣荀勗」 と言っているが、その他の言葉は同じである。 (于宝『晋紀』)
―― 裴松之が調べた処、和嶠が侍中となったのは、荀顗が亡没してから久しい後である。荀勗の位は台司
（三公）に亜ぎ、和嶠とは班位を同じくせず、侍中と称する縁る辺はない。二書の云う所は皆な合ってはいない。その時の官位を考えるに、荀愷はまことにこれに当っている。荀愷の位は征西大将軍に至った。荀愷の兄の荀憺は少府である。弟の荀悝は護軍将軍であり、車騎大将軍を追贈された。